1 リアリティまで紹介してくれるジョブキュレーター

今新しいジャーナリズムとして、「キュレーション・ジャーナリズム」というのがあるんだけど知ってる?

すみません。説明してください。

膨大な情報の中から、キュレーターが、ちゃんと真偽を確かめたうえで、正しい情報としてピックアップして、新しい意味を加えて出していくっていうこと。同じように職業的教育にも、「職業キュレーター」とか「ジョブキュレーター」みたいな存在の人たちが必要なんじゃないかな。

確かに自分の中で情報を判断するときには、自分自身にどう引き付けて考えたらいいか誰しも悩みますよね。そこに一回ガイドする人がいてもいいと思います。

「ジョブキュレーター」っていいと思うんだ。いろんな職業の情報を、いいブログなんかから、やりがいみたいなものを見つけてきてリアリティを出していく。ただし離職率なんかもちゃんと出す。本当に好きだったらその仕事は出来るわけだから。シャワーのように情報を浴びる中で、結局目的が持てないと踏ん張りどころがなくなってしまうし。

仕事のリアリティって、楽しいことだけじゃなくて、しんどいこともしっかりあって、一枚のコインの裏表みたいなものだと思う。だから情報として、仕事に対する働き方みたいなものがしっかり伝わることは大事だと思うよ。

仕事を選択することは、大きいことではあるにせよ、人生の一つの出来事でしかなくて、興味の持てなかった仕事もやっていく中で楽しくなってくることもあるし、仕事以外の時間に生きがいを見つけている人もいる。またそれが年齢や家族構成とともに変化することもよくあることで、それを高校生が理解するのは難しいじゃないですか。だからそこにキュレーターが必要で、職業的教育はそういうこともどこか含めて行われるべきかも知れないですね。

2 生活の中で積み上げる自己肯定感

基本的には妥協してでも何かの職業に就くべきだと思うんだよ。そこから人生の次のステージみたいなものがきっと始まるはずなんだけれども、今の僕たちが付き合ってきている若者たちを見ていると、妥協した瞬間にそれが諦観みたいになって、生活観すら捨ててしまう。ここがすごく危ういと思う。

本当はそれでも仕事以外の楽しみを見出せるようになってくれば、妥協や諦めでも、仕事は仕事だからって割り切れるようになっていくと思う。

自分はずっと夢を叶えるためにずっとフリーターをしていたんだけど、今思えば夢と仕事が一つのものになっている感じが、なんかすごく気持ち悪いことのような気がする。

でも、そういう人もいるんじゃない。特に若いうちはそういう人が多いよね。夢は夢で、職業は職業で、ある程度整理を出来るようになることが職業的教育なのかもしれないね。

若者の支援をしていても、そこが分離出来たときに動き始められるみたいなところってすごくありますよね。

そうだよね、分離出来ていない人って結構いるもんね。

これから毎月18万、15万で暮らすためには何が出来るのか。まず「食う」っていうことを先に持ってこない限り、動き始めないんだよね。優先すること、守るべきものが、大人になってくると変わってくるけど、そういうことが大事なんだと思う。職業的教育には、そういう地域の生活者からにじみ出てくるようなお話が教室で聴けるようになっていくことも入ってくるんだと思う。

職業観より先だって必要なのは生活感っていうことですね。

結局主体性のない人たちに主体的になってもらうことが、どれくらい難しいかってことは、若者の支援をしていると痛感するところでしょ。特に彼らの自尊心の低さだとか自己肯定感みたいなことは、本当に積み上げだから。

そういったことが日々の家や学校での生活の中で試されるべき、最も重要なことだよね。

自己肯定感を日頃の教育や子育ての中で植え付けていって、彼らが主体的に情報に対してアンテナを張っていくようになった中で、引っかかるものをどんどん増やしていってあげる。そういうことが大事なんじゃないかな。

そうですよね。その自尊心の担保がしっかりできたうえで、初めて職業的教育も、打てば響くことになっていくわけですよね。そのときにやっぱりキュレーターがいると、学校ではなかなか越えられない垣根を取っ払っていって、君だったらこういうふうな生き方があり得るのかもしれないね、こういう仕事に就いたらどうだろうというところにたどり着けるのかもしれませんね。

3 最後に…

自分は職業的教育を、やっぱり座学ではなくて、フィールドワークや、インターンシップで体験できるようなプログラムとして学校が持つべきなんだと思う。そのときには外部の人間がコーディネーターとして入れるような仕組みを持たなきゃいけない。そのためには学校が教育にもっと予算をつけるべきじゃないかって思うよ。

職業セミナーみたいなものは必要だと思うけど、やりがいばかりを話すんじゃなくて、もっと泥臭い内容を話すことが必要だと感じました。金銭の話も含めて、現実を知っていく、一つ一つの職業を知っていくような教育をしていく必要なのかなって思いました。

最初に石井さんが出した、学校と家庭と地域(企業)という3つの役割と、その重なり合う部分について、もれなく話が出た気がするんです。それぞれの役割がはっきりしたんじゃないのかなというのが、今日の感想です。学校と家庭でいえば、やっぱり子どもの自己肯定感を日常的にどう担保するのか、そこにはやっぱり関わり合いがあったし、学校と地域(企業)という点では礼儀や挨拶もそうだし、緩やかな専門性でもって、どうやって子どもを育てていくかっていうことだったし、家庭と企業なら、お父さん、お母さんの違う顔を見ることとか、ある種「食う」といったリアリティですよね。そういうオンとオフみたいなものの両面をしっかり子どもに示していくことが語られたような気がするし、3つの役割がちぐはぐになってどこか機能不全に陥っていたものが、ジョブキュレーターなんかもそうですが、新しい存在のコーディネーターが媒介することで、もう一回整理されて新しいかたちで繋ぎあわされていくような気がしました。