連載その1 この法律が制定されたことの意味

●困難を抱える若者を支援する最初の法律として

 「子ども・若者育成支援推進法」が昨年の7月に国会で制定され、この4月から施行された。この法律の特筆すべきところは、いわゆる「ひきこもり」や「ニート」などに代表される「社会生活を円滑に営む上での困難を抱える若者」への支援をうたっている点である。若者を福祉サービスの対象として明確に規定した法律の制定は、私たちの国にとって初めてのことである。

>>内閣府「子ども・若者育成支援推進法」 解説ページ

 このように若者を支援するための法律が制定された背景には、1990年代後半以降、終身雇用制が崩壊し、非正規雇用が増えるなど若者の雇用環境が著しく不安定化している現実がある。その結果、働きたくても働くことができず、社会に居場所すらない、支援を必要とする若者たちが、増え続けているのである。例えば、国勢調査による横浜市内の15歳~34歳までの若年無業者(ニート及び失業者)の推移を見ても、1990年の時点では、27,596名だったのが、2005年には52,833名とほぼ倍増している(※注1)。なお労働力調査(2008年)によると、日本社会全体で、15歳~34歳までの若者のうち約64万人がニート状態にあるとされている。

 ここ数年は、国や自治体もこのような若者たちの存在を看過することが出来ずに、相談支援機関を設置し、就労支援プログラムを実施するなど彼らの自立支援に向けた様々な取組みを行ってきている。横浜市も例外ではない。2006年の「こども青少年局」の発足以来、「よこはま若者サポートステーション」の開所や「よこはま型若者自立塾」の開設など、困難を抱える若者の自立を支援する施策やプログラムを実施してきた。

 この法律はこのような国や自治体の若者自立支援の先進的な実践を体系化し、包括的な支援の仕組みへと止揚するために制定されたともいえる。その意味では、これまで何の法律的な後ろ盾もなく若者支援に携わってきた私たちのような自治体職員や若者支援のNPOスタッフの立場からすれば、拠って立つ床柱が出来たという点で、画期的な法律制定であった。

注1:市町村レベルの若年無業者の正確な人数は、国勢調査によらなければ、把握できない。現時点での国勢調査の最新データは2005年となる。

●問われているのは、若者ではなく、私たちの社会の方だ。

 一方で従前の社会常識に照らし合わせれば、このような法律が成立してしまったことにある種の「憤り」を感じる人たちも居ることだろう。乳幼児や児童、高齢者や障害者が福祉サービスの対象だということならば誰もが理解できる。しかし、若者が公的支援の対象になるというのは、如何なものか。若者とは、国の屋台骨になる存在ではないか。社会のあらゆる生産活動を支え、サービスや支援の担い手となることこそが彼らの役割だろう。「最近の若い奴らは本当にダラシガナイ」と考える大人がいても不思議ではない。

 しかし、そのような「憤り」は、大人たちが想像する「甘えや怠惰さ、根性の無さ」といった今どきの若者の資質に対してではなく、むしろ若者の生きづらさを構造的に生み出している私たちの社会のありようそのものに向けられるべきではないだろうか。

 00年代に入って「ニート」に始まり「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」、「派遣切り」など若者の苦境を物語る流行語が次々と生まれ、例えば『若者を見殺しにする国』(赤木智弘)のようなロスジェネ世代の本音むき出しの言説が社会から一定程度の共感を得られたことからも、明らかだろう。また1990年代の初めには、若者の自由な働き方を象徴する輝かしい言葉だった「フリーター」が、20年経った現在では忌むべき不安定就労の代名詞のようになってしまっていることが、若者たちの置かれている状況の変化を良く物語っている。

 私たちがしなければならないのは、「働かない、働くことのできない若者たち」への自己責任論を唱えることではなく、法を制定してまで若者を支援しなければならなくなった日本社会のありようと向き合い、その構造的課題を明らかにし、解決していくことではないか。

●社会に居場所を失くした青少年のための法律として

 「社会のあり方そのものが問われている」という視点に立てば、この法律が、困難を抱える若者のみならず、より年少の子ども・青少年の存在をも視野に入れて、制定されている点も見逃せない。法律の名称が「若者育成支援推進法」ではなく、頭に「子ども」という冠がつけられている所以である。

 ところで、若者と異なり、子どもの福祉や育成支援をうたう法律は、「児童福祉法」や「次世代育成支援推進法」など既存のものが複数存在している。「何も新たに法律を制定してまで……」と考えるのが普通だ。あえて屋上階を重ねるようにしてまで、この法律によって取り組まなければならない今の時代の子どもたちが抱える「困難さ」とは一体、どのようなものなのだろうか。

 近年、深夜徘徊で補導されたり、学校内で暴力を振るう思春期の子どもたちが急増している。例えば神奈川県内の深夜徘徊で補導された青少年は、04年に54,863名だったが、年々増加し続け09年には84,544名となっている。また同じく県内の校内暴力発生件数も、99年には5,015件だったのが、08年には9,232件となっている。ちなみにこの数字は全国ワースト1である。

 こんな統計データを見せられると不思議に感じる大人も多いと思う。なぜなら、近所迷惑も顧みず、夜中に徒党を組んでバイクを乗り回す「暴走族」や卒業式などで生徒が集団で教師に対して暴力を振るう「校内暴力」は、昔からあったし、むしろ70年代~80年代にかけての方が盛んだった印象があるからだ。同時に、当時は10代の子どもたちが荒れるのは、思春期の流行病のように考えられていた節もある。「悪」やっていても、いずれは、みんな仕事について、結婚をし、子どもを生んで、りっぱな大人になる。ヤンキーだった過去も青春時代の良き思い出というわけである。

 ところが、教育機関や警察司法機関、そして青少年団体へのヒアリング調査によると、近年、このような思春期の問題行動の質が大きく変わりつつあるという。

 深夜徘徊でも校内暴力でも従来までのいわゆる不良行為と異なるのは、当事者が「孤立」しており、行動も「突発的」であることだ。例えば家に帰っても、父親も母親も居ないので、独りで、あてどなく深夜の街をさまよって補導される、クラスメートにハブにされた挙句、授業中に突然、キレていきなり教師に殴りかかる。そこから象徴的に浮かびあがってくるのは、他者とのコミュニケーションや関係構築が苦手で、自分の感情や欲望をうまくコントロールできずにいる孤独な青少年の姿だ。

 その意味では、今の時代の「不良少年」と不登校やひきこもりなどに見られる社会参加が困難な青少年とは、同根の課題を抱えていると言える。すなわち00年代の青少年問題の本質は、仲間同士で徒党を組むことの問題性ではなく、むしろ子どもたちが群れる(他者と関係性を紡ぐ)ことを上手に出来なくなっている点にあるのだ。それは、言い換えれば、私たちの身近な社会(家庭や学校、地域)が、青少年にとって濃密な人間関係を築きづらいものになりつつあるということでもある。

 そうであるのならば、この時代の青少年行政に求められることとは、社会から逸脱してしまう子どもたちの行動を規制したり、取り締まったりすること以上に、家庭や学校、地域で青少年が同年齢や異年齢の多様な他者たちと関係を紡いでいくための場や機会を出来るだけ多く生み出すことであり、それによって子どもたちが、豊かな社会性(社会に参画し、社会を形成していく力)を育んでいくための仕組みを構築することではないか。

 この「子ども・若者育成支援推進法」が、第8条で青少年の健全育成のための総合指針を「子ども・若者育成支援推進大綱」として新たに策定することをうたっているのも、これまでの青少年行政のあり方を抜本的に見直し、転換しようとしている事の顕れであると考えたい。

 次世代を担う子どもや若者を社会的に排除し、彼らの育成や自立への支援を放棄する国に未来はないからだ。

横浜市こども青少年局青少年育成課担当係長
関口 昌幸